セブのストリートチルドレンを応援するNPO特定非営利活動法人
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2007年1月7日 いつもの日曜日のように、家の近くのレストランで夕食を食べようとしていた私の携帯にメールが入りました。送り主は、スカラーの母親で、文面は「イロイが病院に運ばれた」というものでした。よく理解できなかったので、運転手のノイピローに電話をしてもらうと、交通事故にあって、亡くなってしまったということでした。

すぐに家に帰り、チャンとまこ姉さんに電話して、「うそやろ、うそやろ。イロイが死ぬはずないやん」とつぶやきつつ、サントニーニョに向かいました。そこで、待っていた のは、「イロイは、交通事故にあって、即死。遺体は病院に安置してある」という悲しい知らせでした。

すぐに病院に向かい、母親と合流、イロイに会うことができました。イロイは、病院の暗い廊下の端っこに黒いビニール袋に巻かれておかれていました。なんで、なんで うそやろ、と何度呼んでもイロイは返事をしてくれませんでした。

一人の人間が、この世から去ってしまったというのに、補償として提示された額は、たった5千ペソと葬儀にかかるお金だけでした。何千万のお金をもらったとしても、彼がもう私たちの前に帰ってこないのは同じこととはいえ、あまりにも安い金額に言葉を失ってしまいました。その後、相場を聞いたりして、交渉した結果、4万ペソと葬儀費用ということで話がつきました。

今でも、納得がいかないのは、イロイを轢いた運転手は、示談が成立したということで、事故の翌日の夜中12時に釈放されたことです。この件に関しては、イロイ側でも、「運転手だって、家族もいるし、イロイが飛び出して、轢いてしまったのは、災難だった」という意見が大半を占めて、私の心はますます重くなってしまいました。

最近は、デイケアやキンダーを経て、小学校入学する子供が大半の中で、イロイは 家庭の事情のために、どこにもいけなかったため、読み書きもできないまま、一年生になりました。学校では、初日から、黒板に先生が書いた準備するもののリストをノートに書き写さねばなりません。読み書きができないイロイが、そのときどんな気持ちだったのか、私には想像もできません。

でも、彼は、まじめに学校に通いました。そうしているうちに、少しずつ字が書けるようになり、計算もできるようになっていったようです。一度、こっそり教室の窓の外から見たときに、片手をほおに当てて、首をかしげて、難しい顔をしていた姿が今も忘れられません。

学校が終わると、寄り道もせずに、サントニーニョ教会に戻り、ろうそくを売っていました。ほかの子供が、売上金でおやつを買ったり、ジュースを買ったりする中で、イロイだけは、いつも売上金を、病気のおばあちゃんに「薬代」として渡していたそうです。

イロイのからだは、もう抱きしめることもできないし、声を聞くこともできません。でも、私たちは、学校が大好きだったイロイを忘れることはないし、イロイのできなかった分まで、次に続く子供たちに、勉強もお手伝いもがんばってほしいと思っています。

イロイが、この世からいなくなってしまった1月7日では、悲しすぎるので、イロイがこの世に生まれた3月22日を、私たちの記念日として、毎年集会を持っています。

 


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