海外ボランティア活動・CECジャパンネットワーク

参加者レポート

生徒さんたちと楽しいコミュニケーションが取れた

◆参加期間◆2016年1月1日~2016年1月16日まで (2週間4日)

◆参加の動機◆
単なる海外旅行ではなく、外国の町に住んでそこを知りたいと思い、行先を検討していたが、大地震の影響が心配なネパールが気にかかり、復興支援ができなくても何か役に立ちたいと希望しました。

◆ホームステイ滞在に関して◆
家族構成:○お父さん○お母さん○子供2人 祖父、祖母
ペット: 無
食事: 普通  
生活形態について:
とにかく現在のネパール事情が酷いので、日本と比べるとほぼ50年以上前の生活だと思いました。
停電1日15時間。暗い夜は寝るしかない。部屋に停電時の照明があるが、最後の3日間はそれもつかなかった。夜、真っ暗な部屋でi-padで日記を書いていた。
水、滞在中に水の配給が満タンにできなくなっているとチェイワンさんの愚痴を聞かされていたので、洗濯も控えていた。トイレの後に手を洗うことすら控えた。初日に温水シャワーが使えると説明されたが、停電時は湯沸かし器が使えないし、燃料のガスボンベも、通常の金額の3倍以上でブラックマーケット取引さえ起っていると。それに加えて水も枯渇しているので、シャワーはほぼ諦めました。
滞在中、1回のみ。途中で夕方に屋外の水道でシャンプーした。(少し風邪ひいたが、頭がスッキリしたので、ありがたかった)あと一回は帰国直前に温水でシャンプーのみ。(飛行機に乗るために必死だった)

家族:
祖父母はEnglish無理、子ども達はEnglishで授業を受けているので普通に話します。町中の人も同じく。チェイワンさんは日本語もペラペラ、ニーラムさんも日本語がよく出ていました。
Nepaliを習って行ったので、おばあちゃんと会話して色々なフレーズを教えてもらいました。
次女チェスタはディズニーやFrozen(アナ雪)にハマっていたので、お土産がぴったりで良かったです。私のスマホの動画で一緒にFrozenの歌やNepalのポピュラーソングを歌いました。
折り紙で一度遊んだが、作品や新しい折り紙を山ほど持っていたしEnglishで解説してある折り紙の本も持っていた。(折り紙はもういいかも、笑)
しかし、リビングルームが無いので、時間が合わないのと停電も多く、ほとんど触れ合う機会は持てませんでした。長女のチェターナは受験勉強中でナーバスになっていたし、思春期で難しい年ごろ。
家では食べて寝るのが精一杯の日々をお互いに過ごしていたという感じ。

滞在中のゴミとベッドメイク:
もらっていたインフォメーションに、ゴミ、留守中に家族が‥と書いてあったが、何もされていません。それでよかったです。自分で持参したレジ袋に溜まったら自分でキッチン横の家族のゴミが置いてある所へ持って行きました。ベッドメイクもされていません。

朝食:
予定では6:30、トーストと書いてあるが、停電のせいで焼かない食パン。チャイ&ソーセージ&野菜炒め&フルーツ。学校が朝早く始まる日だけ次女チェスタと一緒。しかし彼女はダルバート。ほかの家族はブランチの習慣だそうで、私の為だけに早朝から作ってくれていました。

夕食:
予定では20時、停電時間によって早い時は19時ころでした。ちゃぶ台の関係で祖父母が先に済ませているので、その他の家族と一緒です。
ライス&豆スープ&野菜おしたし&何かのカリー。2~3回手製のラクシー(日本酒か焼酎みたい)をグラスに少し振舞ってくれました。
ライスは好みの量を伝えた、お代わりも快くさせてくれます。しかし、わんこ蕎麦のように足されます、という口コミの様子は全くありませんでした。
野菜とカリーは一皿に盛ってあるので、自分で取ります。(量に限りあり) 飲み物はコップ一杯の白湯。
日本人からすれば、かなり質素な食事です。
停電&水不足&ガス不足のため、私がキッチンを使って何かを作るという発想は皆無でした。お湯をもらうことすら出来ず、持参した葛湯の素など、何も飲めませんでした。
皿洗いは手伝いましたが、節水にシビアなので、逆にストレスを与えてしまいそうでした。
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◆ボランティア活動に関して◆
どちらで活動されましたか:パシュパティナート内の高齢者施設&イノベイティブ日本語学校

活動内容と感想(活動期間、回数、時間等も併せてご記入下さい):
高齢者施設では、インドから来ているシスター2~3名の下で活動。観光に行った2日間と施設休日の木曜日1日だけ休んだのみ。
40床ほどの要介護者施設内で、午前中に活動。
水汲み・洗濯・ベッドメイク・室内外の床掃除・食事介助など

日本語学校
事前には予定してなかったけど、「到着後日本語学校もどうですか?…」と言われ、台湾での経験を活かせればと思い、やってみました。日本や台湾のように週1で通う学生達だと思っていたら、彼らは週6日毎日通うと聞き、こっちもハードだなと思った。15時から1時間ずつ3クラスあり、18時過ぎに終わると外は真っ暗。
帰り道の暗闇にも初日は驚きました。
クラスでは平均4人くらいの学生で、社会人 主婦 大学生 色々ですが若い人が多い。基本的にEnglishでコミュニケーションを取りますが、私もNepaliを話すとお互いの距離がすぐに縮まり、とても楽しかった。
校長のネベス先生は日本語ペラペラですが、English & Nepali とインド人も混ざったクラスではHindu も話し、常にごちゃ混ぜで話すので、面白いと共に尊敬しました。しかし、Rabinさんにこの事を話したら、Nepalでは日常的な事だと言われた。 本当に驚きでした。
生徒さんたちと楽しいコミュニケーションが取れたので、ネパールの事を知るのにはとても有意義でした。

ところが、最終日に空港へ送ってもらう車内で、チェイワンさんから「高齢者施設と日本語ボランティアを両方やった人は初めてだ」と言われ、絶句。「え“———-」そうならそうと初めに言ってよ! と思いました。
どうですか? と言われたので、そういうものかと思って、できる限り頑張りました。どちらも楽しかったし良かったですが、本当に忙しかったです。

ホームステイ先からボランティア活動先までの交通手段は:
バールクマリまで徒歩、約20分。オンボロバスに乗り約20分から30分でティルガンガ。バス停から施設まで徒歩5分。
この行程を2日目から一人で往復するのは、相当な覚悟と度胸と自信がないと泣きそうです。
日本語学校はofficeと同じビル内なので、家から徒歩10分程度。

◆英会話or ネパール語レッスンに関して◆
良くなかった 
感想:
Rabinさんのレッスンの事ですよね? 彼はチェイワンさんのように日本語はできません。
テキストは無いので、何か質問をしなくては話が始まりません。ネパールの歴史を色々教えてくれました、興味深いお話だと思いますが、私は歴史や建造物にあまり興味がないので・・・。毎日行くと何も聞きたいことが無く、Rabinさんからは話題がないし、昼ご飯の時間もないので、適当に断り数日おきにしました。そうでないと私のスケジュールでは早朝から日没後の18:30過ぎまで出っぱなしになったので、忙しすぎました。
実際に、急いでバールクマリから歩いても40分はかかるから、途中で買ったサモサやセルをかじりながら移動していました。 私の勝手な意見ですが、あのレッスンはいりません。
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◆持ち物に関して◆
日本より用意し、役に立ったものは:
軽快に歩けて捨ててもいいようなスニーカー:でこぼこ道や穴が空いていたり、ゴミをまたいだり、歩道・道路・老人ホーム内は、たん、鼻水(Nepaliは手鼻をかむ)、ウンチとオシッコがこぼれていると思って歩く必要がある。お気に入りのスニーカーは絶対履かないほうがいい。ホコリで真っ白砂だらけになる。

ウエストポーチ、デイバッグ:トイレで絶対荷物を置いたり掛けたりする事が出来ない。
小さめのレジバッグ:外出先でトイレに入ったとき使用した紙を捨てる場所はない、ごみ袋で持ち帰っていた。(ネパール人は拭かないのか?)家のトイレにはごみ箱が置いてある。 部屋のごみを出すのにも必要です。
赤ちゃん用おしり拭き:日本でウォシュレット生活だし、何日もシャワーを使えないので必須でした。コンパクトパックをカバンに持ち歩いていたが、主に部屋で使用。

小さい懐中電灯:ポケットに入れられるサイズが絶対おすすめ。いつもポケットやバッグに入れて24時間携帯するべき。家の中でも、屋外にあるトイレへ行くとき、階段の昇り降り、部屋の中で歩くだけでも必要、とにかく停電したら暗黒。夕食中に突然停電!ということもあった。
日本語学校からの帰りは18時過ぎで、外は真っ暗、停電中の町の路地は、本当に真っ暗。
変換プラグアダプター:滞在の前半で少し一緒になった日本人が(CECの案内に日本式コンセントがあると書いてあったので、持ってこなかった)と言い困っていたので貸してあげた。部屋によって日本式は使用できない。観光先のHOTELでも必要。
使い捨てカイロ&ダウンベスト:1月の朝夕は本当に寒い。気温の問題というより、家には暖房というものが一切ないので、朝夕食時・部屋にいるとき・寝るとき、カイロで助かった。娘さんたちは家の中でもコートをいつも着ていた。
ユニクロのウルトラダウンロングコート:軽い・暖かい・コンパクト。たたんで袋にしまい、バッグに入れられるので、飛行機内や外出時に便利だった。

いらなかった物:
・言われていた首に巻くタオルはいらなかった、寒いから。マフラーやストールを常に首に巻いていた。
・虫対策は全くいらなかった、寒いから。虫は全然いない。
・エプロンはいらなかった、老人ホームで借りられる。それに、想像を超える汚れが付くので、毎日最後にまとめて洗っている。私は自前のエプロンを初日のみ使用。ステイ先で洗濯もままならないので、2日目から持参しませんでした。
それと2日目からは施設のゴム長靴を履いていた。自分の靴は履かない方が良い。(お年寄り達が何処ででも用を足している)

その他、便利だと思うものは:
エコバッグ:近所のスーパーBhat-Bhateni。ここの買い物でレジ袋は絶対もらえない、私は先に水やビールを買い込んで困ってしまった。店舗内のガードマンおじさん達にカタコトのNepaliで必死に聞いたところ、レジ横に置いてある折りたたみでコンパクトになっているエコバッグが60Rで買えると分かって助かった。(おじさん達はEnglishダメです)
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◆カトマンズに関して◆
お勧めの観光スポット、お店、レストラン等があればお知らせ下さい:
カトマンズのタメル地区へ1度だけ半日行きました。
行きはチェイワンさんといっしょにOffice近くの(Jaolakeru)から大型バスに乗り。お土産屋がたくさんあり、ヤクのショールを値切って400Rで購入。しかし、帰りのバス探しが大変。パタンに比べると人が非常に多く、traffic policeにバス停を聞いても知らないと言いtaxiしかないといい加減な答えが返ってきて恐怖でした。何とか通行人に英語で聞きまくって、超満員のバンに乗り込み無事帰宅。

反対にお勧めできない場所等があれば、その理由もお知らせ下さい:
リングロードのバス停(バールクマリ)からの帰り道、小さな商店でビスケットと紙パックジュースを購入。なんとジュースを50Rと言ってきた。疲れ切っていたので払って飲んだけど、あとでKKマートに行ったら20Rで売っていた。やっぱりボったくられた!金額は小さいけど悔しい、小さいお店だけは気を付けて。

カトマンズ以外の街を訪れた方は、下記の質問にお答えください
どちらに行かれましたか:
バクタプル &ナガルコット: 160US$ (同時期に来ていた日本人とツインルームで同室泊でしたが、同じ値段・・・チェイワンさんも同じホテルで泊まり同じ食事をしていたからか?) 少し不信感。
ボダナート ボランティア仲間のドイツ人と仕事の後、半日観光。パシュパティナートから徒歩。チベタリアン「レストランLaamian Restaurant 」で、チベットうどんの「トゥクパ」が美味しかった。チキンで175R。
帰りは一人でバス。
ブンガマティ:  バスに乗りRabinさんに案内され徒歩で巡る。

◆ご参加頂いた時期に関して◆
気候、お天気はどうでしたか:
1月、寒い。しかし日中は日差しが強くて暖かい。雨は一切降らなかった。

服装は:
12月の日本と同じ。昼間は外より室内が寒い。ダウンベストなジャケット、ショール・靴下は必須。夕方4時ころからどんどん寒くなるので、昼間が暑くても必ずダウンコートをカバンに入れていた。

◆ネパールの物価に関して◆
ご参加時のレートは:  1ルピー=約1.19円
何か購入されたものがあれば参考までお知らせ下さい:ヤクショール(400R)、片道バス(バールクマリ→ティルガンガ 15Rか20R)、ミネラルウオーター1L 101R)、輸入缶ビール350ml 220R、街中ローカルショップでサモサ・セル 各10R、スーパーの前の露店でエッグチキンロール 220R、チェイワンoffice2階のcaféでアメリカンコーヒー 90R,地元民利用のモモショップでバッファローモモ1皿 80R,地元民利用の飯屋でチョウメン 60R&ペプシコーラ1本 35R、
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◆予防接種に関して◆
渡航にあたり予防接種を受けましたか: いいえ

◆今回のご参加を通じて、最も印象に残っていることや今後の参加者へのアドバイスなど◆
Bhat-Bhateniをチェイワンはデパートと呼びます。食料品、日用品、アルコール、衣類、食器、何でも揃うので確かにデパート。日本人の感覚ではディスカウントスーパーのようです。
歩いて5分。近所の道を理解してから行ったほうがいい。
空港で、visa申請が一番迷った。事前にCECからもらったA4の雛形に記入済みだったが、2011と書いてあった通り古くて、今は紙が小さく少し変わっている。だから書き直しました。次に空港内で、ハサミが置いてあるという口コミを真に受けて、写真を切らずに行ったので、探し回ったが見当たらず仕方なく全く別の窓口のおじさんに借りた。すっごく切れないハサミだった。
さて書類がそろったので窓口へ行ったら、今度は現金で払うのではなく、他の窓口で支払い領収書を出すと聞き、また支払い窓口で並び直し。
荷物はスムーズに受け取り出口へ行ったらチェイワンさんが待ち受けていると思ったので、建物から出ずに見渡したが、タクシーの誘いばかりで、段々怖くなった。思い切って一歩外へ出たら、凄い数の人が出口の私達を見ているので、本当に怖かった。しかし、CECと書いた紙を持った人を見つけ、ホッとした。

お名前:I.N  性別: 女性      ご年齢: 50代